1. はじめに:SaaS事業計画の基本とこの記事の目的
SaaS事業を立ち上げる際、真っ先に考えるべきは「事業計画」です。しかし、いざ取り組もうとすると、「何から手を付ければ良いのかわからない」と感じる方も多いのではないでしょうか?特に、目標設定やKPIの設計は、初めての方にとって大きなハードルになりがちです。
そこでこの記事では、SaaS事業計画を「ARR」という重要な指標を中心に逆算して考える方法を解説します。ARR(年間経常収益)を軸に計画を立てることで、事業の全体像が見えやすくなり、具体的な目標設定や各部署のKPIに落とし込むことが可能になります。
この記事のゴール
この記事を読みながら、以下の3つを明確にすることで、最低限の事業計画を完成させることが目標です:
- 目標ARR
- 目標ARRを達成したい期限
- 提供するソフトウェアの平均顧客単価(ARPA)
これらを基に、顧客獲得ペースや採用プラン、KPIを設定する方法をステップごとに解説していきます。
2. 最初に決めるべき3つの要素
SaaS事業計画を始めるにあたって、最初に明確にしておきたいのが以下の3つの要素です。これらを定めることで、事業の方向性が見えやすくなり、その後の具体的な計画もスムーズに進められます。
2-1. 目標ARR
ARR(年間経常収益)は、SaaS事業の成長を測る最も重要な指標です。目標ARRを適切に設定することは、事業計画全体の土台を築くうえで欠かせません。以下のポイントを参考に、現実的かつ成長を見据えた目標を設定しましょう。
設定例 その1:1億円、10億円、100億円
- ARR 1億円:プロダクトのフィット確認フェーズ
- プロダクトマーケットフィット(PMF)が達成されていることを示します。
- この段階では、顧客の成功事例を積み上げながら、リピート性の高い収益基盤を構築することが目標です。
- ARR 10億円:成長フェーズ
- チームの規模拡大や新しい市場への展開が可能になる水準。
- シリーズBやCの資金調達を目指す際の重要な指標です。
- ARR 100億円:スケールフェーズ
- 上場や業界での地位確立を見据えた段階。
- この規模に到達すると、買収やグローバル展開といった選択肢も現実的になります。
設定例 その2:T2D3などの理想的な成長モデルを参考にする
SaaSスタートアップの理想的な成長モデルとして、T2D3(Triple, Triple, Double, Double, Double)があります。これは、ARRを以下のように成長させることを目指す指標です:
- 年次成長目標(例)
- 1年目:ARR 1,000万円 → 3,000万円(3倍)
- 2年目:ARR 3,000万円 → 1億円(3倍)
- 3年目:ARR 1億円 → 2億円(2倍)
- 4年目:ARR 2億円 → 4億円(2倍)
- 5年目:ARR 4億円 → 8億円(2倍)
このモデルを参考に、成長目標を設定すると計画がより具体的になります。
設定例 その3:創業初期のスタートアップの場合
創業初期のスタートアップでは、ARR 1億円以上を目指す前に、まずはARR 1,000万円~3,000万円を目標にするのがおすすめです。以下のステップで段階的に進むと良いでしょう:
- ARR 1,000万円:最初の顧客獲得に注力
- PMF(プロダクトマーケットフィット)を確認するため、初期顧客の満足度向上が最優先。
- ARR 3,000万円:営業プロセスを確立
- リード獲得や商談の仕組みを構築し、獲得ペースを安定させる段階。
- ARR 1億円:事業の収益性を拡大
ヒント:ARRの5倍が時価総額の基準
2024年現在、SaaS企業の時価総額は一般的にARRの5倍とされます。目標ARRを設定する際、「企業価値を10億円にしたい」場合、ARRの目標は2億円となります。この方法で逆算するのも有効です。
目標ARRは以下の観点で設定するのが良いでしょう:
- 現在の事業規模と成長余地を踏まえた「現実的な数値」
- 成長モデル(T2D3など)を参考にした「理想的な成長ペース」
- ARR 1億円、10億円、100億円といった中間目標を基準に、達成感を積み上げる形での設定
- 時価総額から逆算して設定
これにより、事業計画全体が具体化し、次のステップに進みやすくなります。
2-2. 達成したい期限
目標ARRを設定したら、それをいつまでに達成するかを決めます。この期限は事業計画全体のスケジュールを左右する重要な要素です。
- 現実的な目標と無謀な目標の違い
- 例えば、「1ヶ月後にARR1億円を達成する」という目標は現実的ではありません。代わりに、「12ヶ月後にARR5,000万円」など、リソースや時間軸に基づいた目標を設定しましょう。
- 一般的なタイムライン
- 初期フェーズのスタートアップでは、12~18ヶ月程度が妥当な目安です。
- 既存事業の拡大フェーズでは、24~36ヶ月といった中期目標を設定することもあります。
2-3. 平均顧客単価(ARPA)
最後に、提供するソフトウェアの平均顧客単価(ARPA: Average Revenue Per Account)を設定します。この金額は、顧客数や収益モデルを計画する際の基準となります。
- エンタープライズ向けとSMB向けの違い
- エンタープライズ向け(高単価): ARPAが月50万円~100万円以上。
- SMB向け(低単価): ARPAが月5,000円~3万円程度。
- 競合製品の参考価格を調べる方法
- 同業界や競合製品の価格を調べ、自社の提供価値と比較して設定します。
- 例:競合製品の平均価格が月10万円の場合、自社の機能差や付加価値を考慮して月8万円~12万円の間で設定する。
- 例:ARPAを決めるケース
- SMB向けの場合:月1万円 → 年間12万円(1アカウントの年間売上)。
- エンタープライズ向けの場合:月80万円 → 年間960万円。
この章でのアクションプラン
- 目標ARR、期限、ARPAをスプレッドシートに入力してみましょう。
- これらの要素を基に、次章では必要な顧客数を計算し、より具体的な計画に落とし込みます。
3. ARRとARPAから必要な顧客数を計算する
目標ARRと平均顧客単価(ARPA)が決まったら、次は必要な顧客数を計算します。顧客数を具体的に把握することで、営業やマーケティングの目標が見えやすくなります。
3-1. 必要な顧客数の算出方法
必要な顧客数を計算する公式はシンプルです:
公式:必要な顧客数 = ARR ÷ ARPA
- 例1(エンタープライズ向け)
- 目標ARR:1億円
- 平均顧客単価(ARPA):年間1,000万円→ 必要な顧客数 = 1億円 ÷ 1,000万円 = 10社
- 例2(SMB向け)
- 目標ARR:5,000万円
- 平均顧客単価(ARPA):年間12万円(月1万円)→ 必要な顧客数 = 5,000万円 ÷ 12万円 = 417社
この計算により、自社が目標を達成するために必要な顧客数が明確になります。
3-2. 必要な顧客数を期限内で達成するペースを設定する
顧客数がわかったら、それを期限内にどう分配するかを考えます。期限が12ヶ月の場合、単純に割り算するのではなく、スタートアップ特有の成長カーブを考慮することが大切です。
- 成長カーブの例
- 初月はゼロからスタート → 月ごとの顧客獲得ペースを徐々に上げる。
- 月間目標を初期(低) → 中期(中) → 後期(高)と段階的に設定。
- 例1(エンタープライズ向け、10社目標)
- 初期(1~4ヶ月):1社/月
- 中期(5~8ヶ月):2社/月
- 後期(9~12ヶ月):3社/月
- 例2(SMB向け、417社目標)
- 初期(1~4ヶ月):20社/月
- 中期(5~8ヶ月):40社/月
- 後期(9~12ヶ月):55社/月
この章でのアクションプラン
- ARRとARPAから必要な顧客数をスプレッドシートに入力する。
- 顧客獲得ペースを月ごとに設定する。
次章では、この計画をさらに分解し、各フェーズのKPI設定や採用プランとの関連を詳しく解説していきます。
4. 顧客獲得ペースを分解してKPIを設定する
顧客獲得ペースや目標ARRが明確になったら、それをさらに分解し、営業やマーケティングの各フェーズで達成すべきKPIを設定します。この章では、KPI設定の具体例を示しながら、計画を実行可能な形に落とし込む方法を解説します。
4-1. 顧客数から営業・マーケティング戦略を計画する
顧客獲得ペースを基に、営業やマーケティングのリソースを逆算します。例えば、必要なリード数や商談数を以下の公式で求めます:
リード数 = 必要顧客数 ÷ 商談化率 ÷ 契約率
- 例1(エンタープライズ向け、契約率50%、商談化率25%の場合)
- 必要顧客数:10社
- 必要商談数 = 10社 ÷ 50% = 20件
- 必要リード数 = 20件 ÷ 25% = 80件
- 例2(SMB向け、契約率20%、商談化率10%の場合)
- 必要顧客数:417社
- 必要商談数 = 417社 ÷ 20% = 2,085件
- 必要リード数 = 2,085件 ÷ 10% = 20,850件
この計算を通じて、営業・マーケティングに必要なリソースが見えてきます。
4-2. 解約率を考慮した目標設定
SaaSでは解約率(Churn Rate)を無視すると、目標ARRを達成しても維持が難しくなる場合があります。以下の方法で解約率を計算し、KPIに組み込みましょう。
- 解約率の影響を考慮する公式
- ARR維持に必要な顧客数 = 必要顧客数 ÷ (1 - 解約率)
- 例:解約率を考慮した顧客数
- 必要顧客数:417社
- 解約率:年間5%→ 必要顧客数 = 417 ÷ (1 - 0.05) = 439社
解約率が高い場合、新規顧客獲得だけでなく、既存顧客の維持に力を入れる必要があります。
4-3. 採用プランと一人当たりARRの関係
目標ARRに基づいて採用プランを設計する際、重要な指標となるのが一人当たりARRです。これにより、採用のタイミングや人件費の妥当性を判断できます。
- 公式:一人当たりARR = ARR ÷ 総従業員数
- ベンチマーク例
- 創業初期:一人当たりARRは500万円~1,500万円が理想。
- 成熟企業:効率化が進むと1,500万円~3,000万円を目指す。
- 採用計画のシミュレーション
- 目標ARR:1億円
- 一人当たりARR:1,500万円→ 必要な従業員数 = 1億円 ÷ 1,500万円 = 約6人
これを基に、「採用人数が目標ARRに対して適切か」を検証しながら計画を進めます。
4-4. 創業初期の採用プランと資金調達の関係
創業初期では、資金調達を前提に人件費を先行して投資する場合もあります。この際、以下の点を考慮しましょう。
- 資金調達額から必要ARRを逆算
- シリーズAで1億円を調達 → 8人採用(年間人件費 1,000万円/人)。
- 必要なARR = 一人当たりARR × 従業員数 = 1,000万円 × 8 = 8,000万円
- Burn Multipleを活用した採用判断
- Burn Multiple(資金消費効率)を評価基準とし、採用が適切かどうかを確認。
- 例:営業損失が1億円、ARR増加額が2,000万円の場合 → Burn Multiple = 5倍(効率が悪い)。
この章でのアクションプラン
- 必要なリード数、商談数、契約数をスプレッドシートに入力する。
- 解約率を考慮し、顧客維持の目標も設定する。
- 一人当たりARRを基に採用プランを調整する。
5. CAC/LTVやBurn Multipleの基礎を理解する
SaaS事業を健全に成長させるには、効率よく顧客を獲得し、長期的に収益を生み出す仕組みが必要です。そのために欠かせないのが、CAC(顧客獲得コスト)、LTV(顧客生涯価値)、そしてBurn Multiple(資金消費効率)です。この章では、それぞれの指標の計算方法と活用方法を解説します。
5-1. CAC(顧客獲得コスト)とは
CACは、新規顧客を1件獲得するためにかかるコストです。広告費、営業人件費、イベント費用などを含めたマーケティング・営業活動全体のコストを計算します。
- CAC = 顧客獲得コスト ÷ 獲得顧客数
- 例:CACを計算するケース1ヶ月のマーケティング費用:100万円
- 1ヶ月の営業人件費:200万円
- 獲得顧客数が50件の時、CACは6万円(100万円 + 200万円) ÷ 50 = 6万円
- CACの目標値SMB向け:1~5万円程度
- 含める代表的な費用
- 広告宣伝費(キャンペーン、プロモーション)
- 従業員給与(S&M部門)
- クリエイティブ費用(動画や画像などのコンテンツ製作費)
- ツール費用(S&Mチームが使用するCRMなど)
- 在庫管理費用(ソフトウェアのアップデートなど)
CACが高すぎる場合は、広告効率を見直したり、営業プロセスの改善を検討します。
5-2. LTV(顧客生涯価値)とは
LTVは、1人の顧客が生涯でどれだけの収益をもたらすかを示す指標です。解約率や顧客単価を考慮して計算します。
- 公式:LTV = 平均顧客単価 × 利用期間
- 例:LTVを計算するケース
- 平均顧客単価(ARPA):月1万円
- 平均利用期間:3年(解約率10%)→ LTV = 1万円 × 12ヶ月 × 3年 = 36万円
- LTVを最大化する方法
- 解約率を下げる:サポートの充実やプロダクト改善を行う。
- 顧客単価を上げる:アップセルやクロスセルを促進する。
5-3. CAC/LTV比を活用する
CACとLTVのバランスは、SaaS事業の成否を左右します。理想的な比率は、CAC:LTV = 1:3(LTVがCACの3倍以上)です。
- 例1:CAC/LTV比が良好なケースCAC:10万円
- LTV:30万円
- CAC/LTV比 = 1:3 → 健全な収益モデル
- 例2:CAC/LTV比が悪化するケースCAC:10万円
- LTV:20万円
- CAC/LTV比 = 1:2 → CAC削減やLTV向上が必要
5-4. Burn Multipleとは
Burn Multipleは、ARRを増加させるためにどれだけの資金を消費しているかを示す指標です。効率的な成長を測るために重要です。
- 公式:Burn Multiple = 営業損失 ÷ ARR増加額
- 例:Burn Multipleを計算するケース
- 営業損失:1億円
- ARR増加額:5,000万円→ Burn Multiple = 1億円 ÷ 5,000万円 = 2倍
- 目標とするBurn Multiple
- 1倍以下:とても効率的
- 1 - 1.5倍:効率的
- 1.5 - 2倍:まあまあ
- 2 - 3倍:資金消費がやや大きい
- 3倍以上:非効率的 → 営業効率や採用計画の見直しが必要
この章でのアクションプラン
- 自社のCAC、LTVを計算し、CAC/LTV比を評価する。
- Burn Multipleを計算し、資金消費効率を把握する。
- CAC削減やLTV向上のための具体的なアクションを検討する。
次章では、ARR目標を決めるもう1つの方法として、時価総額から逆算するアプローチを紹介します。
7. 結論:SaaS事業計画の第一歩を踏み出そう
SaaS事業を成功させるための事業計画は、複雑な要素が絡み合います。しかし、ARR(年間経常収益)を中心に据え、逆算する方法を用いれば、シンプルかつ実践的な計画を作ることができます。
本記事では、以下のステップを通じて事業計画を組み立てる方法を解説しました:
- 目標ARR、達成期限、ARPAを設定する
- ARR目標を定めることで、事業計画の軸が明確になります。
- ARRとARPAから必要な顧客数を計算する
- 必要な顧客数が見えれば、営業やマーケティングの具体的な戦略が描けます。
- 各フェーズごとのKPIを設定する
- リード数、商談数、契約数を基に、チーム全体の目標を細分化できます。
- CAC/LTVやBurn Multipleを活用して効率を評価する
- コスト効率や収益性を定量的に把握し、改善点を特定します。
実行が最も重要
事業計画を立てることはゴールではなく、スタートラインです。実際に行動に移し、試行錯誤しながら計画を改善していくことで、事業は成長します。まずはこの記事のステップを基にスプレッドシートを作成し、ARR目標と顧客数、KPIを具体的な数字に落とし込んでみてください。
スプレッドシート作成に時間をかけない
事業計画を立てる際、多くの時間をスプレッドシートやエクセルの計算シート作成に費やしてしまうことがあります。しかし、重要なのは指標をウォッチし続け、実際の事業の成長を考えることです。スプレッドシートを作るためだけに貴重なリソースを使うのは、効率的とはいえません。
projection-ai では、ARR・期限・ARPAを入力するだけで、自動的に6年間分の事業計画やKPIを計算できます。これにより、スプレッドシートを作成する手間を省き、より多くの時間を戦略や実行に集中することが可能になります。